「嫁」も所有から利用する時代へ
ITの世界ではクラウド化の進展とともにシステムを「所有」するものから「利用」するものへと考え方が変わりつつある。
我々の日常生活でも、家や車、時にはブランドの小物まで比較的値が張るものを「所有」するのではなく必要に応じて「利用」あるいは「借りる」という考えが浸透しつつある。
まとまった額のお金を、家や車などに長期に固定させるのではなく、費用として小出しすることで家計にゆとりを持たせ、生活にリスク耐性をもたせるとともに必要に応じてより有効に活用しようということだ。
そこには、例えば家や車を手に入れてこそ一人前という固定的な価値の尺度から、お金をかけるべき分野など自分の価値観に従えばいいという、多様な価値の尺度を受け入れる土壌の広がりを見出すこともできる。
そこで、 俺は考えたってわけ。
男にとって一生の高い買い物は「家」と「嫁」。
「家」は一生涯持たずに借りるという考えがあるのだったら、そのうち「嫁」も「借りる」という考え方が現れるであろう、と。
そしたら、フランスで以下のようなサービスが話題沸騰とのことだ。
彼女はレンタルする時代! 仏で始まった「レンタル彼女サービス」に問い合わせ殺到
やはり時代はそういう方向に進みだしているのだろうか?
とするならば、数年後にはこのようなサービスが始まっているだろう。
嫁はレンタルする時代! 日本で始まった「レンタル嫁サービス」に問い合わせ殺到
たとえば、仮に「嫁」という機能を古典的な定義に従って、炊事、洗濯、掃除といった機能の束、いわゆる内助の功で定義できるとしてみよう。
しかしそれらの機能やサービスなど、いまや何でも簡単に手に入ってしまう時代だ。
我々はコンビニのおかげで日々飢えることをもはや知らない。
洗濯など洗濯機に放り込んでおくだけだし、クリーニングだってある。
最近では家まで洗濯物取りに来て、クリーニング後また配達してくれるサービスもある。
掃除だって、ルンバが勝手にやってくれるわけだし、ダスキンに頼めばプロのおばはんがやってきて速攻部屋をきれいにしくれる。
いまや、電話一本、メール一通で、いかなるものもデリバリーしてくれる時代だ。
つまり、我々男達は、一生涯の賃金ほとんどに匹敵する高い金を払ってまで「嫁」を所有する必要はもはやない。
必要なときに「嫁」を利用し、「嫁」を借りればいいということなのだ。
「嫁」という機能の束に特別な意味はなくなり、それこそ宅配可能な個別の機能に溶解しつつある。
さらに言えば、こうした時代のうつりかわりと共に、「結婚」という制度において、古典的な「嫁」の概念はもはや必要とされなくなりつつある。
料理など、できなくてもいい。コンビニの弁当のほうが美味いから。
掃除など、できなくてもいい。ルンバがいるから。
洗濯など、できなくてもいい。洗濯機があるから。
つまり、「結婚」において古典的な「嫁」に対するニーズなど、もはや存在しないということだ。
そして、そのような変化に「結婚」という制度や概念が追いついているだろうか?
時代に合わせて概念や制度を変容させなければならないのに、我々の意識も価値観も変化に対応できていないのではないだろうか?
そのようなわけで次回は、価値観の変化と「結婚」をテーマにとりあげて、深く省察してみようじゃないか。
我々の日常生活でも、家や車、時にはブランドの小物まで比較的値が張るものを「所有」するのではなく必要に応じて「利用」あるいは「借りる」という考えが浸透しつつある。
まとまった額のお金を、家や車などに長期に固定させるのではなく、費用として小出しすることで家計にゆとりを持たせ、生活にリスク耐性をもたせるとともに必要に応じてより有効に活用しようということだ。
そこには、例えば家や車を手に入れてこそ一人前という固定的な価値の尺度から、お金をかけるべき分野など自分の価値観に従えばいいという、多様な価値の尺度を受け入れる土壌の広がりを見出すこともできる。
そこで、 俺は考えたってわけ。
男にとって一生の高い買い物は「家」と「嫁」。
「家」は一生涯持たずに借りるという考えがあるのだったら、そのうち「嫁」も「借りる」という考え方が現れるであろう、と。
そしたら、フランスで以下のようなサービスが話題沸騰とのことだ。
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やはり時代はそういう方向に進みだしているのだろうか?
とするならば、数年後にはこのようなサービスが始まっているだろう。
嫁はレンタルする時代! 日本で始まった「レンタル嫁サービス」に問い合わせ殺到
たとえば、仮に「嫁」という機能を古典的な定義に従って、炊事、洗濯、掃除といった機能の束、いわゆる内助の功で定義できるとしてみよう。
しかしそれらの機能やサービスなど、いまや何でも簡単に手に入ってしまう時代だ。
我々はコンビニのおかげで日々飢えることをもはや知らない。
洗濯など洗濯機に放り込んでおくだけだし、クリーニングだってある。
最近では家まで洗濯物取りに来て、クリーニング後また配達してくれるサービスもある。
掃除だって、ルンバが勝手にやってくれるわけだし、ダスキンに頼めばプロのおばはんがやってきて速攻部屋をきれいにしくれる。
いまや、電話一本、メール一通で、いかなるものもデリバリーしてくれる時代だ。
つまり、我々男達は、一生涯の賃金ほとんどに匹敵する高い金を払ってまで「嫁」を所有する必要はもはやない。
必要なときに「嫁」を利用し、「嫁」を借りればいいということなのだ。
「嫁」という機能の束に特別な意味はなくなり、それこそ宅配可能な個別の機能に溶解しつつある。
さらに言えば、こうした時代のうつりかわりと共に、「結婚」という制度において、古典的な「嫁」の概念はもはや必要とされなくなりつつある。
料理など、できなくてもいい。コンビニの弁当のほうが美味いから。
掃除など、できなくてもいい。ルンバがいるから。
洗濯など、できなくてもいい。洗濯機があるから。
つまり、「結婚」において古典的な「嫁」に対するニーズなど、もはや存在しないということだ。
そして、そのような変化に「結婚」という制度や概念が追いついているだろうか?
時代に合わせて概念や制度を変容させなければならないのに、我々の意識も価値観も変化に対応できていないのではないだろうか?
そのようなわけで次回は、価値観の変化と「結婚」をテーマにとりあげて、深く省察してみようじゃないか。
# by maeyaniku | 2011-02-15 22:41











